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単独行

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世界の山の単独紀行

君はイエッティに会ったか                 

イエッティとはヒマラヤに住むと雪男のこと。これまでに芳野満彦、今井道子などの著名な登山家にも目撃されている。夜、森の中、一人でいると現れると言われている。
2012年の秋、2度目のヒマラヤ・トレッキングにネパールへ遠征しました。 一ヶ月間でエベレスト周りの標高5500mクラスの3ヵ所のパス()を越えるハードな計画でした。 カトマンズよりヒマラヤの麓の登山基地ルクラまでは、通常、軽飛行機で移動するのですが視界不良で飛ばず、6日間かけて歩いて行きました。 そのお蔭か、高度順応がうまく行き、先ず、レジョンパスを越え、日本を出て2週間後にはチョラパスをも越える事ができました。


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レジョンパス

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               チョラパス
最後のコンマパスを目指して、ゾングラの山小屋サイトに着いた時は、午後
4時を回っていました。しかし、5軒ほどの山小屋はすべて満員、頼み込んで食堂に泊まる手も有ったのですが、まだ明るかったので2時間ほど先のトクラまで行ってみることにしました。これは2度目、と言う安心感で気が緩み、午後3時以降は行動しないという山の鉄則を犯した大きな過ちでした。進むに連れてガスが下りてきて日没も重なり、真っ暗になってしまったのです。トレールは細くなり、気づくとトクラへの分岐を見逃したようで、小さな沢に出会い、沢を越えた所、ヘッドランプの明かりでは全く踏み跡を捉えること出来なくなっていました。 漆黒の闇の中を1時間、必死に踏み跡を探し、歩き回りましたが、全くルートの手掛かりは得られませんでした。チラチラと雪も降って来、そこでビバークして朝を待つ決断をしました。 寝袋は有るものの、ツエルトもシュラーフカバーも無く、酸素濃度が地表の半分の4500m地点での露営でしたが、比較的暖かく、いつの間にか空も晴れ上がり、満天降るような星空を眺めながら楽しく、朝を待つ事ができました。寝袋に潜り、息苦しさで1時間に一回起きて、深呼吸をしてはウトウトとしていたが、外をカサコソ歩く足音で目を覚まされました。こんな所に鹿でも居るのかなと思いましたがそのまま、寝込み朝を迎えました。起きてみれば難なくルートが見つかり、トクラへは一時間。小屋に飛び込み、冷えきった体をストーブで温め、食事を出してもらって一息ついた所で、小屋の主人が真面目な顔で聞いてきました「君はイエッティに会ったか」、と。


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エベレスト


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# by kenkaminaga | 2017-03-21 12:36 | トレッキング

私のシャングリラ-亜丁

シャングリラとはチベットに有ると言う理想郷の地名とされています。 イギリスの作家、ジェームズ・ヒルトン1933に出版した小説『失われた地平線』の中で創造した架空の桃源郷です。 中国四川省稲城県に有るチベット族の小さな村、亜丁はその独特の雰囲気・風物から最後のシャングリラとも呼ばれています。 域内には菩薩の化身とされる3聖山-チェンレースィ(6032m、観音菩薩)、チャナドルジェ(5958m、金剛手菩薩)、ジャンベーヤン(5958m、文殊菩薩)-が神々しい姿態をさらし、山裾にはコバルトブルーの氷河湖オロン・ツォ(4500m)、真珠湖の様なテンジン・ツォ(4600m)が静かに身を横たえ、訪れる人に何事かを語り掛けてきます。 2011 年初春、チャナドルジュの麓で季節外れの大雪に遭遇し、疲労困憊して退却した私を見かねた放牧小屋のチベットの娘にまねかれ、温かい囲炉裏端で食事を御馳走になりました。 ガツガツ食べる私を見守る眼差しはまるで菩薩の様な慈愛に満ちていました。 その時気づきました、そうです、亜丁こそ私のシャングリラだと。
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            亜丁村の日出                    チェンレースイf0368742_09410429.jpg
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ジャンベーヤン麓のオロン・ツォ、 テンジン・ツォ

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初夏のチャナ・ドルジェ

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真冬のチャナ・ドルジェ




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# by kenkaminaga | 2017-01-11 12:09 | バックパック
トロンパスとランタン村

201310月の第3次ヒマラヤ遠征は、アンナプルナ・サーキット(アンナプルナ山塊を巡る13日間のロングトレール、最高点トロンパス)一周とヤラピーク(ランタン村奥に聳える独立峰)の登頂成功と実り多く、素晴らしいものだった。しかしその後、遠征地2ヶ所に過酷な運命が待ってたとは、その時は夢にも思いませんでした。

アンナプルナ・サーキットは歩行距離が長く、登降差も大きい難コース。壮麗なアンナプルナ連山の展望、世界で二番目の高度のティルチョ湖の絶景等見所も多い。中間部のトロンパスは世界最大の峠として知られている。1012日、パス手前のトロン・ハイキャンプ(4800m)を朝4時に出発した。強風が吹き始める前にパスを超えて、出来れば日の出を見たいと思ったからだ。考える事は皆同じで、パスへのルートは既にトレッカーであふれていた。ヘッドランプの明かりを頼りに緩やかな登りをジグザグに登って行く。途中で夜が明け、3時間ほどで無風快晴のトロンパス(5416m)へ着いた。パスは広い鞍部と成っていて、恐ろしく寒い他は素晴らしいヒマールの展望を堪能できた。茶店が一軒有り、インスタントラーメンをトレッカーにふるまっていた。パスからの下りは一部凍結している所もあり、アイゼンを付けて慎重に下り、5時間掛けてやっとの思いでチベット仏教とヒンドゥー教の聖地ムクティナート(3760m)へ下り着いた。
(次の年の
20141015日、季節外れのモンスーンがトロンパスを襲った。積雪と雪崩により、39名(内日本人2名)が亡くなるというネパールトレッキング史上最悪の事故が起きた。件の茶店の主人もトレッカーと共に遭難したと言われている。)
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ティルチョ湖(4920m)      アンナプルナⅡ(7937m)

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トロンパス

アンナプルナを終えて一旦カトマンズへ戻り、一日の休養を取り体調を整えて次の目的地ランタンへ向かった。チベットとの国境にあるランタン谷はイギリス人登山家・ティルマンが「世界で最も美しい谷のひとつ」と褒め称えたというヒマラヤの名谷。1024日早朝、リバーサイドロッジ(2450m)を出発し、ランタン村を目指した。途中で珍しい二人のネパール人トレッカーに追い抜かれた。この時は挨拶を交わすだけで別れたがその後、彼らは重要な局面で再登場することになる。美しいランタン谷を詰め、ランタン村(3500m)へ昼に着いた。ゲストハウスで昼食を取り、キャンジン・コンバ(3800m)まで足を伸ばした。翌25日、いよいよヤラピークの日帰り単独登山挑戦だ。朝4時に山小屋を出てルートを尾根筋に取り、ひたすら登る。雪がベッタリと着いた嫌な雪壁に出会う。アイゼンを付けてがむしゃらに昇る。先行するイタリア隊の大パーティーが渋滞している。雪崩が怖い。何とか突破して、広い雪原状の鞍部に出た。体調は絶好調、高度の影響は全くない。更に2ピッチで遂にヤラピークの絶頂(5500m)へ出た。頂上の正面にはランタンリルンが美しい姿態を表し、背後には中国の8000m峰シシャパンマが円錐状の特異な威容を誇っている。思わず我を忘れて見惚れた。いけない、もう二時だ、下りは長い、日が暮れる。他隊の人たちは昇るや否や、来たルートを引っ返して行く。登攀時の雪壁の下りを避けて、なだらかに見える反対側の雪面を下って行く。暫く下ると切り立った断崖へ出た。ルートが見付からない。迷っていると前日会ったネパール人二人が降りてきた。助け合って断崖を何とか切り抜け、ピークを巻くルートへ出た。踏み跡も殆ど無いこのコースは思いの外長く、キャンジンへは日暮過ぎの7時まで掛かった。ネパール人はカトマンズに住むマニさん、グルカ兵の伝統を継ぐシンガポールの傭兵。退役記念に義理の息子と山登りを楽しんでいたのだ。帰国の日マニさん一家のパーティーに招かれた。苦しかった山行を振り返り、お互いの健闘を称え再会を誓って祝杯を挙げた。
2015425日、ネパールで大規模地震発生。ランタンリルンの頂部が崩壊して、激しい土石流と雪崩がランタン谷を襲い、村の55のゲストハウスと民家が氷河と岩の下敷きになった。残った家は一軒だけであった。欧米のトレッカーを含めて200人余が犠牲になったと言われている。)
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ランタン村        シシャパンマ(8027m)、ガンチェンポタ

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ランタンリルン(7227m)


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# by kenkaminaga | 2016-11-15 13:09 | 登山
滑落、負傷、ビバーク、そして生還 - コンマラ越え
エベレスト周りに標高5500mクラスの三つのパス(峠)が有る。2012年の第二次ヒマラヤ遠征でこの三パス越えに挑んだ。先ずレジョンパスを越え、次にチョラパスを攻略したが下山でルートを見失い、日没も重なり4500mの地点でビバーク(強制露営)を余儀なくされた。ビバークで受けたダメッジで、残りのコンマラパス(5535m)はその年は諦めた。そして2014年の11月、第四次遠征である。当然、コンマラ越えを企てた。コンマラは距離も長く、標高差も大きいので日本からの公募山岳ツアーでは通常、シェルパ、ポーターを伴う三日間の幕営山行で企画されている。それを単独日帰りで切って落とすのが今回のテーマ。日本を出てから10日ほど経った早朝5時、ロブチェ(4,930m)の山小屋を出た。明るい内にコンマラを越えたいと、気は焦るが氷河を横切るルートがなかなか見つからない。何とかクレバスを避け、取り付きに出た。見上げるパスは剣岳の三ノ窓の様に尾根に深く切り込まれていた。今日中にパスを越えて反対側のチュクン(4743m)へ辿り着かなければ。急いで登り始めたが高度の影響か、荷物が重いのか、ピッチが上がらない。それでも予定より2時間遅れてやっと、午後2時にコンマラへ着いた。パスからは、氷河湖越しにマカルーが美しい山容を見せてくれる。寒い。ドドーン、大砲の様な音が響く。氷河湖の氷が競り合って鳴っているのだ。見とれていて、ふと我に返った。イケない30分も経っている。駄目だ、早く降りなければ日が暮れる。下降路を探すがパスの下は切り立ったガリーと成っていて、ルートが見つからない。パスより上方のリッジに微かな踏み跡、行って見よう。しばらく登った所からルートは、はっきり見えないが降りてみる。ザクザクの急なガリー、構わず下る。と、バランスを崩し頭から滑落、2,3回転げて手をついて止まった。助かった。けがは無いようだ。
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  エベレスト(8848m)とヌプチェ     コンマラから見たマカルー(8463m)

氷河湖までは100m、降りてみればパス直下よりルートが有った。高原状の気持ち良い暖斜面を2時間ほど下りた所で、気づいたらエベレストの衛星峰ヌプチェ(7879m)が残照を受けバラ色に輝いている。美しい、でも急がないと、写真も撮らずに谷状傾斜をトラバースして行く。踏み跡が見えづらく成って来た。ヘッドランプを出そう。ザックをリッジに降ろした途端、有ろうことか、ザックが雪の斜面を転げ落ちていく。止まれ、良し、30m程下の岩角に止まった。ランプの明かりを頼りに尚も下って行く。いつの間にか踏み跡が無くなっている。どうもルートを外れたようだ。それでも谷の底面を追って下り続けると、大きな岩がゴロゴロしている斜面に出た。時計を見ると、何と9時だ。疲労も限界。そうだ、この岩陰でビバークして、朝を待とう。寝袋に潜り込んで見ると、あれ、周りが血染めに成っているではないか。如何したのだろう。ア、右手の小指がパックリと裂けている。パスで滑落した時に切ったのか。消毒の為、ゲンタシン軟膏を取り出し、絞りだそうとするが凍って出てこない。何とか溶かして手当てする。11月のヒマラヤは羽毛の寝袋でも寒い。傷がズキズキ痛む。腹がへった。短いまどろみを繰り返し、長い、長い夜が明けた。バリバリに凍った荷物を纏め、1時間ほど登り直して本渓側に続くルートを発見。急な谷の僅かな踏み跡を頼りに下り、3時間ほどでメイントレッキングルートに出た。更に2時間のアルバイトでチュクンの山小屋に着く、まず、ビール、美味い、これだからヒマラヤは止められない。正面にローツェが美しい雪煙を上げ、今日も輝いていた。

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    アマダブラム(6856m)      チュクンから見たローツェ(8516m)

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# by kenkaminaga | 2016-07-23 09:17 | トレッキング
中国四川省四姑娘山大峰(5025m)、日帰り単独登山
Climb Solo in A Day for DaFeng(5025m) at SiGuNiangShan in SiChuan Province of China

山麓の旅籠を出たのは成田を出て3日目の2011年615日、早朝3時でした。麓から山頂までの高度差は約2000m。高山病の危険も有るので、日本からの山岳ツアーの殆どがガイド、ポータ、馬を雇っての山中5泊の幕営キャラバン登山で企画されています。これを単独・日帰りで切って落とす事が今回目指した山行テーマでした。当日、朝2時に天候を確認すると満天の星、高度順応の為2日ほど3000m級の高地トレッキングをしてから登る積りであったのが、急遽、高度順応無しにスタートしてしまった訳です。これまで2年間、毎日2時間のジョギング、1時間の水泳、2時間の自転車で心肺機能を高め、20k減量した鍛え抜かれた身体に何の不安も有りませんでした。

中国四川省、ヒマラヤ東端に位置する四姑娘山。35キロの範囲で連綿と続く四つの峰にパンダを守るため四人の姉妹が協力して虎を退治したという伝説で付けられた名前です。雄大な森林、渓谷や沼沢、草原や湿原などで独特の大自然を形成しています。主峰・四峰は海抜6250m1981年に日本の同志社大学隊により初登頂されています。主峰より三峰5355m、二峰5276m、今回登った大峰(長女峰)と連なっています。
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ブルーポピー咲く草原より望む四姑娘山         大峰頂上岩壁

大峰へのアクセスに馬を使う場合、谷筋を通って行くのですが、今回は時間短縮の為、尾根筋を取りました。ヘッドランプの灯りを頼りに5時間程登って、ブルーポピー咲く美しい草原に出、トレールの先に朝日に輝く四姑娘山が見えた時には思わず歓声を上げていました。行き交う人は全く無く、ただ放牧の牛だけがエールを送ってくれ、ルンルンとホッピングが出るほど素晴らしいトレールでした。数回の登り、下りを繰り返して、一端、谷筋に下ると大峰のアタックキャンプ場に出会いました。20張り程のテント村には45人の中国人キャンプキーパーがたむろしていて、口々に64歳の日本人、朝立ちしてここまで来たのか、と驚きの声を上げて迎えてくれました。ルートは大峰の頂上岩壁をトラーバースする苦しい急なガレバの登りに変わり、切り立ったナイフリッジへ出た時はもう午後2時を回っていました。リッジより大峰の5025mの絶頂までは、頂上岩壁の反対側の岩と雪の尾根筋を登る更に1時間のアルバイトであった。一部凍結している所も有り、アイゼンを持って行ったのは正解でした。大峰からの眺めは期待を裏切らぬ物でこの日の為に今日まで生きて来た、と本当に思えるほど素晴らしいものでした。帰路は谷筋を通り、途中酸素不足の為か幻覚に悩まされながら疲れきった体に鞭打ち、麓の村に辿り着いたのは日もとっぷり暮れた午後9時、実に18時間に及ぶ長い山行であった。
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大峰頂上直下より見た主峰、二峰、三峰    帰途立ち寄ったチベットの聖山チェンレースィの前で


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# by kenkaminaga | 2016-07-21 11:45 | 登山